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げんごろう式



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ブータン旅行

2007.07.25(23:12) 94

7月25日

関西国際空港を出発し、バンコクに到着。入国してホテルで1泊し、翌日早朝の出発に備える。

ブータン王国を訪れた理由は、
1.「GNH」(国民総幸福量)という考えに、私たちが巻き込まれているグローバリズムに対する、「もう一つのあり方」があるのではないかと考えたこと
2.『ブータンの朝日に夢をのせて』木暮正夫著・こぐれけんじろう絵 くもん出版 1996年 を読んで、西岡京治さんに始まる日本とブータンとの関わりと、ブータンの社会を知りたいと思っていたこと
3.小学校から、国語以外の教科を英語で教えているという教育事情と言語事情を知りたいと思ったこと
などである。


はじめに、ブータン王国の概要を、ウィキペディアから引用しておく。

ブータン王国
西岡京治
ブータンの英語教育事情


7月26日

バンコクを早朝に離陸したドゥック航空の飛行機は、インドのコルカタ経由でパロ空港に向かう。

ブータン国王は賢明なお方なので、これまで国王親政はよい結果をもたらしてきた。そして今、憲法を定め民主議会制に移行しようとしている。
この国が、国のあり方として示してきた下記のようなユニークな価値観は、現代の私たちが直面している「グローバリズム」に対するオルタナティブ(もう一つの道)である。

* 「GNH」(国民総幸福量)という考え方
* 民族服・民族様式の建築など伝統を大切にする
* 環境を重視する政策
* 禁煙国家
* そして仏教(信仰に生き、満たされる)

Vege or Non-vege? 菜食か肉食かを選ぶ機内食


ブータンはインドと中国という大国にはさまれた小国である。
インドと中国は、ブータン西隣のアルナーチャル・プラデシュで国境紛争を抱えている。そして、ブータンの隣国であったシッキム王国はインドに併合され、チベットは中国に「解放」と称して侵略され虐殺されている。
大国に挟まれた小国ブータンは独自の価値観を世界に発信することで国家としての威厳を保ちながら独立を維持しようとしている。

しかし一方で、国を開き情報が入るようになってから、物と情報に溢れ物質欲をかき立てる現代社会をブータンの人々は知ろうとしている。
情報化、現代化の中で、物質的欲望を自制して、ブータン的価値を維持し、国家社会の威厳を保てるかどうか。

ブータン的価値はまた、グローバリズムに巻き込まれ戸惑っている私たち日本人にとっても重要な示唆を与えてくれるのではないか。

* 景観を守る
* 伝統が根付く
* 民俗を守る
* 宗教・信仰が息づく・信心深い
* 望まれて生まれ、満たされて生き、安らかに死んでいく
* 共同体が助け合って生活を支えあう
* 社会に道徳が共有されている
* 文明を共有する社会の一員として仕事にやりがいを感じる

天候の加減で、パロ空港まですんなりとつけないかもしれないと事前に旅行社から言われていたのだが、こんなことを考えているうちにすんなりとパロ空港に着いた。


これから1週間一緒に行動するガイドのパルデン君。日本語はできないので、彼との話は英語です。


空港からパロの町に向かいながらパルデンと今日の予定を相談する。午前中は国立博物館とパロゾン、昼食後、ホテルにチェックインしてのんびりするという日程になる。

国立博物館

古いゾン(城砦)を利用した施設。古代から現代に至る歴史、仏教、民俗、自然などの展示がある。
興味深かったのは、ゾンカ語のアルファベット。

ゾンカ語のアルファベット
A遵・IUEO
KA KHA GA GHA
CA CHA JA JHA
遵フA
遵゚A 遵゚HA 遵AA 遵AHA TA THA DA DHA
NA
PA PHA BA BHA
MA
YA
RA
LA
VA
遵レA 遵ンA SA HA

ゾンカ語は、チベット語と近く、文字もチベット文字。チベット文字は梵字の影響を受けているので、アルファベットの並び方は梵字に倣っている。
日本語の五十音の並びも、お坊さんが梵字のアルファベットに読み仮名をつけたのが元になっている。
なので、ゾンカ語と日本語のアルファベットの並びには共通性がある。

イェティ(雪男)はブータンの伝説だ。
パルデンがおじいさんから聞いた昔話
イェティは足が後ろ向きについているので、人間の足跡の方向とは反対向きに進んでいるはずだ。
もしもイェティに襲われたらどうするか。
そのイェティが女なら、山を下って逃げろ。なぜなら、垂れ下がったおっぱいを両肩に担いで追いかけてくるので、山を下るのが苦手だからだ。
そのイェティが男なら、山を登って逃げろ。なぜなら、眉毛が伸びすぎていて上の方が見えないからだ。

ブータン仏教には4つの宗派がある。

* カギュ派(現世利益中心・ミトナの仏画)
* シャチャ派(釈迦派)
* ニンマ派(グル・リンポチェ)
* ゲルプ派

カギュ派は現世利益中心、他の3宗派は来世への転生を願う。
4宗派は、現れ方は違うが、根は同じで、また、最終的に目指すところも同じ。

パロゾン


ゾンはもともと、砦として建てられた。今は、役所、裁判所、寺院が同居する大きなお城である。
ゾンの中のお寺では男の子のお坊さんが、お経やクラリネットのような楽器の練習(宗教音楽)をしている。

空気が薄いのか、少し歩くだけで息が荒くなる。
パロの町(中心街)は、菅野の中心街ほどの大きさだが、建設ラッシュ。よろず屋や手工芸品店が並んでいる。

携帯電話のアンテナとパロゾン。ブータンも携帯電話時代。今回の旅行のほとんどの地点で、パルデンの携帯電話が通じていた。



落書きじゃないよ。民家に描かれた絵。


パロの街外れのタクシー乗り場。運転手が「ティンプー、ティンプー」と行き先を連呼して客引きをしている。どうでもいいことだけど、上の写真の絵を見たあとの日本人にはちょっと恥ずかしい言葉に聞こえる(って、自分だけか)。ティンプーとはブータンの首都の名前だ。


さて、ブータンの民族衣装についてのお話

ホテルにチェックインして、一息ついたあと、あらかじめ用意してあった男物の和服の古着を改造したニセ民族衣装をブータン風に着てロビーに行くと、みんなにブータン人みたいだと言われた。

ブータン人も日本とブータンの着物がそっくりだということはよく知っているらしい。

パルデンが本物のゴを借りて来てくれて、ロビーで着付けてもらう。ホテル従業員の若い女の子が3人も見ているので「恥ずかしいよ」というと、「大丈夫。ブータンの女の子は、みんな気にしないよ」とパルデンが言う。ひとりの女の子に手伝わせて、パルデンが着付けてくれる。
「女の子には、将来だんなさんの着付けをするのにいい練習台になってあげてね」とパルデンに言われたので、「OK! 何なら、何もかも練習台になってあげてもいいよ」とその女の子に冗談を言うと、そばで見ていた別の女の子に大声で笑われた。
ダショー西岡みたいだ、と何度も言いながら着付けてくれる。
ブータン人は日本人より体ががっしりしているが、あなたは筋肉質なので、まるでブータン人に見えると言ってもらう。ブータン人と日本人は顔もよく似ている。

以後、旅行中はこの衣装を借りて過ごすことにする。

ブータンでは民族衣装を身に着けるのが決まりだ。インド人やネパール系住民には民族衣装を着る義務はない。また、ブータン人でも着ていない人をいくらか見かける。しかし、民族衣装を着たブータン人がとても立派に見えるのに比べると、着ていないブータン人は少しみすぼらしく見える。きっと、和服を着た日本人も外国人から見ると立派に見えるのだろうし、それはどんな民族にも言えることだろう。
民族衣装を着るという政策は、国の威厳を保つための安全保障政策でもあるのではないかと思えた。
民族衣装を着ることを、非常に誇りに思うとパルデンは言った。

ゴは、洋服ほど機能的ではないが、膝丈まで端折って着るので、 男性の和服よりは機能的である。
懐の収納力は大きい。財布、最近では携帯電話。車の運転だって問題なくできる。
ただし、女性は足首まであるキラのまま運転している。足元をどのようにして運転しているのか、覗くわけにもいかないので分からない。

また、後日、2時間かけてタクツァン寺院まで山道を登ったときも、ジーンズなどのように脚にまとわりつかず、歩きやすかった。
ただし、ゴの帯を思いっきり締めているので、昼ごはんを食べるとおなかがきつくて苦しい。食べ過ぎなくていいかもしれない。

ブータン人みんなに、ゴの着こなしが良いとほめられる。それも、お世辞ではなくて。体格が良いかららしい。ほめられてうれしいような悲しいような。
ブータン人から見ると、ゴを着た私は、高貴な人に見えるらしい。

毎日、パルデンにゴを着付けてもらっていたが、細かいひだの取り方、合わせ方など、ミリ単位で気にしているのではないかと思うくらい着こなしにうるさい。
また、パルデンは車から降りるたびに服の裾を直してくれる。 車の座席に座るときもプリーツがしわにならないように座り、裾を整える。車から降りると服装点検。
ブータン人みんなが着こなしにうるさいのか、それとも、パルデンだけの性格なのか。

パロの町とパロ谷


衣装を身につけたので、ブータン人になりきって散歩。よい意味で100年前に帰ったようで、外国にいるのだが気が休まる。




静かだ。音がない。いや、日本ではどこへ行ったって逃れられないBGMがない。
風の音、川の流れる音が遠くから聞こえる。音がないことが、心を平安にしてくれる。
"Peaceful country" ブータン人の口からよく聞いた言葉だ。ブータン人も心の平安を愛している。

街には乞食を見かけない。


7月27日

1日目を終えたところでパルデンに質問

1. 赤米は日本から輸入したのか?
2. ブータン人も敷居を踏まないのか?
3. 靴をそろえるのはどちら向きに?

1の質問は、お昼に赤米を食べたとき、赤米は日本から "Import" したとパルデンが言ったのだが、日本で栽培した赤米を輸入しているのか、それとも、赤米の籾を輸入してブータンで栽培が広まったのかをはっきりさせたかったのだ。
答えは、西岡京治氏がブータンに赤米の種籾を持ち込んで栽培が広がったというのが正解らしい。西岡氏が日本から持ち込んだというのがパルデンの説明だったが、後にドゥック・シードの西川さんに聞くと、ネパールで栽培されていた赤米だそうだ。

西岡氏は、近代化の遅れていたブータンの農業にいきなり近代化を持ち込むことはしなかった。品種改良の進んだ種よりも、なるべく原種に近くて土地の地味や気候に合ったものを選んで導入したほうが、病気にも強く、化学肥料や農薬に頼る必要が少ないという考えからだろう。化学肥料や農薬に頼らないというのは、私たちが考える食の安全ということ以上に、現金収入のない農家には化学肥料や農薬を使わない農業の方がよいという事情が大きいと思う。

以前、どこかのテレビ番組で、ニューギニアのサツマイモを主食とする村に、農業指導と称して鳴門金時を植えに行く話があった。感動的な話ではあったが、本当にこれでいいのだろうかという疑問があった。確かに鳴門金時は甘くておいしい。しかし、甘くておいしい鳴門金時がニューギニアの村の主食に合っているのかということだ。たとえば、日本人の主食は白い米だが、これを毎食、甘くておいしいおはぎにして食べるのと同じことではないのか。

2の質問は、ゾンに入るときに靴を脱いで入るのだが、ゾンの建物の入り口の敷居に当たるところが、ちょうど日本のお寺の仁王門のように一段高くなっていて、それを踏まずにまたいで入っていったので、敷居を踏んではいけないという日本の習慣のようなものがあるのかを聞いてみたのだ。
で、答えは、敷居を踏むと、踏んだところから邪気が入ってくると考えるので、敷居は踏まない。

3の質問も同じところでの疑問だが、ゾンの入り口で靴を脱いで日本式にそろえておいたところ、今度靴を履こうとしたときに、パルデン君が逆向きにそろえなおしてくれたので、おや、ブータンでは日本とは逆向きに靴をそろえるのかなと思ったからだ。
で、正解は、どちら向きでもよい、ということ。大事なお客さんのために靴をそろえたんです。ということらしい。


ブータンの一人当たりの国民所得は660ドル。日本の50分の1程度だが、昔の日本の農村がそうであったように、現金収入がないと言うことが必ずしも貧困であるということではない。
基本的な衣食住に関して、ブータンは大変豊かな国である。
しかし、生活が近代化していくと、電化製品や自動車などの工業製品を買ったり、子供に教育を受けさせたりと、現金収入が必要になってくる。
このことに関しては、都市住民と農村住民の格差が大きい。
都市住民は現金収入がある。現金収入を求めて農村から街に人口が流入していくのだろうか。


パロからティンプーへ向かう道は、ブータンの幹線道路。ティンプーにお住まいの国王が外国にお出かけのときも、この道を通ってパロ空港に行かれる。
道路はパロ川に沿ってくねくねと下り、合流点から今度はティンプー川に沿ってさかのぼる1車線の山道。現在、2車線化の工事中。未舗装の区間も多い。雨季なので、未舗装のところに大きなぬかるみができていてスタックしかけたり、ところどころ土砂が崩れ落ちていて渋滞していたりで、冒険気分を味わいながら進む。


車は日本やインドと同じ左側通行で、都市部に限るが交差点は簡単なロータリー式になっているところが多い。路肩は舗装していないので、対向したときにはまり込むことがある。

私たちが乗っていたのは旅行社の車で、韓国製のヒュンダイ。パルデンはガイド兼ドライバー。
ブータンには日本車が多い。トヨタ、スズキ(ただし、インドの合弁工場で生産されたインド製)。その他に、韓国車のヒュンダイとキアをたまに見かける。トラックは、タタ社、EICHER社などインド製が多い。
韓国車は、坂道を登らないよ。とパルデンがぼやいていた。
車を何台持っているか尋ねられたので、トヨタとホンダの2台だよと答えると、パルデンは、
「ヒュンダイ?」
ホンダがあまりブータンでは知られていないのと、ホンダとヒュンダイの英語の発音がよく似ているので聞き間違えたらしい。

ブータンの車社会は始まったばかりなので、ブータンの道路事情にあった自動車がないようだ。例えば、パルデンはフォグライトを探しているが見つからないという。山道は霧が多いのだろう。
この乗用車だって、でこぼこ道で何度も底をすっている。もう少し車高が高ければいいのに。
また窓に雨よけひさしが付いていないので、雨季には困るだろう。

トラックやダンプには宗教的なデコレーションペイントが施してある。ヘッドランプの上には、目が描いてある。仏陀の目だそうだ。荷台の後ろには"BLOW HORN" 。

車内のバックミラーには仏具をかたどった紐細工やマンダラがぶら下げてあるところは、お守りをぶら下げている日本と同じ。


インド人やネパール系住民が出稼ぎに来てバラックに住みながら道路工事をしている。
ちょうどりんごが実る季節のようで、周辺の農家が沿道にりんごの露店を 出している。さらに、きのこの季節らしく、きのこ売りも発見。パルデンにきのこを食べたいとリクエスト。何せ、ブータンはマツタケが豊富に採れるらしい。
川は、雨季ということもあり、まるで台風後のように水量が多く、流れも速い。

人々は正直で、善意に満ちている。

ティンプー手前のシムトカゾンに到着。

シムトカゾンはブータン最古のゾン。インド政府の援助により再建中。
ブータン各地から建設のために人が働きに来ている。
材木は松材。屋根はトタン葺き。本来の屋根はスレート葺きらしい。
ティンプーの都市化が進めばこのあたりまで市街地になるらしい。


シムトカゾンから紙漉き工房に向かう途中、第一王妃様御一行とすれ違う。

首都ティンプー

ティンプーの町は、人口6万人。
都市化進行中で現在建設ラッシュ。車はかなり多いが、交通信号はなく、町の中心の交差点で1か所だけ警官が交通整理をしている。
町には伝統様式の建物ばかりなので、歴史があるように見えるが、この国で町というものができた歴史は浅い。
規模としては大宇陀の町と同じ程度の小さな首都だ。
ブータンの首都は、以前、夏の都は標高の高いティンプー、冬の都は標高の低いプナカとされていた。現在はティンプーに固定されているが、王(政治権力としての)と並ぶ宗教的権威の僧侶は、今でも冬になるとプナカに移動するということである。

紙漉き工房


日本との技術協力により伝統的な紙作りをしている工房。
http://www.iwami.or.jp/misumi/kokusai/kokusai.htm
Daphaneという木からパルプをとる。一晩水に浸け、2~3時間ゆでる。繊維を裂いて打ち、砕いてパルプにする。ハイビスカスの木から作った糊を混ぜて紙を漉く。


メモリアルチョルテン

人々がお経を唱え、マニ車、数珠を持って、時計回りにお寺を回っている。
朝、仕事前と、夕方、仕事が終わってから、みんなお参りに来るそうだ。昼間なのでそんなに多くはなかった。

織物工房


女性ばかり15人~20人くらいが手機を織っている。座って織る。
みんな、私がゴを着ているのでブータン人だと思ったらしい。
パルデンによると、女の子は口々に私のことをハンサムだと言っているそうだ。本当かよ。そんなに大勢の女の子からハンサムだなんて言われたのは生まれて初めてなので、それだけでもブータンに来た甲斐があったというものだ。
織物のデザインは、伝統的なものから最新のものまで。最新のものでも、ブータンスタイルを崩してはいない。モダナイズ=西洋化と考えてしまいがちだが、ブータンスタイルをモダナイズしている。


昼食
パルデンは、知り合いのレストランに入るなり、「ダショー西岡が来たよ」と私のことを店員に言う。
コーヒーを飲みながら、パルデンを交えてレストランの主人と話す。
「ダショー西岡に来てもらえて光栄です」
「そんな偉大な人に例えられるなんてめっそうもない」
「西岡さんのことは、ブータン人なら誰でも知っています。そして、今も慕っています。私たちの世代だけでなく、どんなお年寄りでもです。」
「日本で西岡さんの伝記を読んだのが、ブータンに来ようと思ったきっかけです。私は西岡さんを尊敬しています」
「西岡さんは、私たちにたくさんの恩恵をもたらしてくれました。農業だけでなく、あらゆる分野で。そして、彼は国王陛下からダショーの称号と赤いカムニの着用を許されました。赤いカムニは大臣級の人が身に付ける物です。彼に続いて、JICAや青年海外協力隊の人たちがたくさん来てくれる。日本には本当に感謝しています。1997年には秋篠宮様も来られました」
「日本とブータンは本当によく似ているね。人の心は正直だし」
「仏教が根付いていますからね。でも最近、都市部では宗教の価値が低下しています。僕は田舎で育ったので、仏教を大切にしなさいと教えられてきました。とてもよかったと思っています。でも最近、町に住む人たちの中には、宗教よりもお金や物の豊かさのほうが大切だと考える人も増えています。京都大学の先生方をご案内したときに、日本でも宗教の重要性は低いとおっしゃっていました」
と、パルデン。
「そうだね。私は、仏教は幸福の基本だと思う。祈ることは幸福への基本だよ。欲望が多くなればなるほど、人間は満足できなくなるものだからね。それと、多くの日本人は、近代化イコール欧米化だと思っている。でも、ブータンにはブータンスタイルの近代化があるよね。さっきの織物工房でもそう思ったよ。外国人から見て、伝統をよく守っているブータンは小さいけれど威厳のある国だよ。国王陛下は賢明な方だね」

「日本のどこから来ましたか」
「奈良だよ」
「家族は?」「うちと同じような家族ですね」
パルデンが、
「ここの主人は手広くビジネスをやっている。この辺りを回って、マーケティングをしてるんだ。女の子を見ているだけだけどね」
と冷やかす。思わず、
「何のマーケティングやねん!」
と、つっこみを入れる。

きのこをリクエストしておいたら、椎茸を出してくれた。松茸を期待していたが残念。椎茸と松茸はゾンカ語の呼び名もあるらしいが、日本語のまま通じる。

チャンガンカラカン

首都ティンプーの子供たちの守護寺。高台にあるチベットスタイルの寺からはタシチョ・ゾン、商業地区、アパート群、山の手の高級住宅地とティンプーの町を一望できる。
本尊は、十一面千手千眼観世音菩薩。
20ヌルタムをお供えし、パルデンに教えてもらって、ブータン式(チベット仏教式)の礼拝をする。
ブータン式(チベット仏教式)礼拝の仕方

1.合掌した両手を上から額、口、のどの3か所の順に動かす。
2.ひざまずき、両手をついて額を床につける。
3.1.2.を3回繰り返し、最後にもう一度1.をする。

3か月くらいの赤ちゃんを抱いたお父さんがお参りに来ている。

ドゥプトプラカン

尼寺。尼さんたちは山に籠って瞑想中。瞑想後の尼さんは髪の毛が伸びている。

エンポリウム(国営工芸品販売館)

政府が地方の職人たちの工芸を集めて展示販売。
店員が、買わせようとうるさく付きまとうことは一切ない。
ここでもパルデンは知っている店員に「ダショーを連れてきたぞ」と言っている。恥ずかしいからやめてくれ。

タシチョゾン
ブータン王国政府

ゾンに入るときはカムニというたすきを着用し正装なければならない。カムニは身分によって色が決まっている。一般人は白、僧侶は青、大臣はオレンジ、赤白は?、王族は黄色。カムニを着用して入城。
門を入って中庭。この中庭は有名なお祭りツェチュが行われるところ。 右側にお寺、左側は政府の庁舎。ブータンは政教一致なので、政治と宗教の権威がゾンに同居している。ゾンは大変大きな城砦で、立派な建物であるが、屋根はトタン葺きである。しかし、みすぼらしい感じは全くしない。要塞でもあるので、一方が崖のようなところに位置することが多い。軍事、政治、宗教の拠点である。

お寺の本尊は釈迦如来。脇侍にシャーリプトラ(舎利子)と?。さらに向かって左にパドマ・サンババ(グル・リンポチェ)(ブータンに仏教を伝えたチベットの高僧。釈迦が出現を予言していたといわれる)、右にシャブドゥン(ブータンを統一した王)
ブータンの灯明は、バターが原料で、固形燃料に芯を挿したような形状である。

王宮はゾンとは別の所にあり、護衛されている。王妃は4人いて、それぞれ別の宮殿に住み、王は妃を王宮に呼ぶ。

夕食は、ブータンキッチンという、ティンプーの高級のレストラン。
入り口の前に銃を持った警官が立っている。
中に入ると、タイからの要人とブータンの政府役人との会談が行われていた。これが、警備が厳重な理由だった。タイの要人といってもタイ国政府の役人というわけではないらしく、後でパルデンに聞くと、華僑系の経済人たちがブータンを利用して一稼ぎしようと役人と通じているところで、感じの悪い人たちだということなのだが、真偽のほどはわからない。
彼らの食事が始まるまで、私たちの食事もお預けということで、会談の様子をそれとなく興味深く見ながら待つ。

まずは、ブータンのお酒「アラ」を勧められる。地元のライスワインというが、飲んでみると焼酎だった。アラという名前は、阿剌吉、アラックなど、アラビア語発祥で各国語に広まっている。


民謡歌舞のショーがあった。食事中、ずっと生演奏。打琴や6弦のブータンギター、横笛(左利き)の演奏で歌と踊りが披露される。音階は、琉球音階に近い歌もあれば、中国的な音階もある。

メニュー
蕎麦のスープ、赤米、とうもろこし入り白米、鶏そぼろ煮、牛肉と春雨煮、チーズ、じゃがいも、ほうれん草、辛いピーマン、紅茶。

西岡氏の働きがなければ、このような食材を構成してブータン料理を洗練することはできなかったかもしれない。

ブータンに来る前に正直言って食べ物には期待していなかった。普段の食べ物はトウガラシ辛いと聞いていたが、実際に食べてみると、韓国のキムチより辛くない気がする。
最近ブータンでは、あまり辛い食べ物は体によくないので辛さを控えるように医者が勧めるそうだ。そして、辛さを抑えたブータン料理はおいしい。
穀物はインディカ米、または赤米。とうもろこしを混ぜることもある。蕎麦もある。
殺生戒があるが、菜食ではない。牛肉、豚肉、鶏肉、魚、ヤクの肉を食べる。味付けはチーズ、塩、とうがらし、バター(牛、ヤク)。
野菜は豊富。
フルーツ、お茶(伝統的には塩味のバター茶、今は紅茶、コーヒーも)

ブータン料理は、ご飯にいくつかのおかずが大皿で出てきて、それを各自取り分けて食べる。レストランではナイフ、フォーク、スプーンがついている。
ブータン料理は残してもよいらしい。全部食べようと思うと、とんでもなく量が多い。「残してごめんね」と言っても、あまりピンと来ていないようだ。
あとで聞いたところによると、残ったものは従業員のまかないになるので、取り分けるときは専用のナイフ、フォークを使うのがマナーだそうだ。
自分が取り分けたものを残してはいけない。

レストランは非常に洗練されている。カウンターは伝統家屋のイメージを再現している。日本の都会にこのようなレストランがあっても不思議ではない。

日本人団体客が来た。やばい、日本人であることがばれてしまう。って別にばれてもどうということもないんだけど。

出版事情

本屋に入ってみたが、ゾンカ語の本はあまり出版されていないようで、ほとんどが英語の本だった。子供の絵本も英語の本を輸入している。絵本を買える家庭は都市部に限られるだろうが、ゾンカ語の絵本を小さいころから読んでもらうことは大切なのではないだろうか。
日本の絵本をゾンカ語に訳して、各小学校に贈ることはできないのだろうか。
あるいは、ブータンの昔話を絵本にして、日本語で出版し、そのゾンカ語版を贈れないだろうか。
ブータン国内に小学校は何校あるのだろう。


チョモラリホテル

バスルームにこんな貼り紙が
-----------
環境への取り組みにご協力ください。
毎日世界中の何千というホテルで、大量の水と汚れの元を使ってタオルが洗われています。いつも、タオルは大切な資源である水を消費して洗われます。

1.もし、使用済みタオルを持って行ってほしいときには、浴槽の中に入れておいて下されば、新しいタオルをご用意します。
2.もし、続けて同じタオルをご使用下さるときは、タオルラックに掛けて乾かしておいて下さい。

天然資源を節約して、私たちを救いましょう。

こんな方法で水を節約して私たちを救いましょう。
歯磨き 歯磨き中水を止める 5~10ℓ
洗顔  水を止めて、布を使う 8~15ℓ
ひげそり グラスに水を入れて水を止める  10~15ℓ
シャワー 水洗いし、水を止め、石鹸で洗ってから水で流す  50~70ℓ
水漏れ 早急にお知らせください 410番  400~3000ℓ


7月28日

パルデンは夕べティンプーの町から5kmほど離れた自宅で家族と過ごしたそうだ。子供をしっかりしつけないと悪い人間に育ってしまうからねと言っていた。

ホテルの部屋は、メインストリートに面していたので、夜中までうるさかった。それと、空気が薄いのか息苦しさを感じた。
階段を昇るときなどにも感じる。

雨にぬれる朝のティンプーは、美しい町だ。アジアというより、ヨーロッパのような感じがする。
朝から道を掃いている人がいる。


プナカへ向かう一車線のつづら折れの道を峠まで登る。このあたりの農家は米を作れないので、じゃがいもやりんごを作って、米と交換しているそうだ。 この辺りは、チベットから亡命してきたチベット人が住み着き、じゃがいもやりんごを作っている。

周囲の山林は青松林。建築材として使う。

水車でマニ車を回している。

外国人チェックポイントで通過許可をもらう。周辺の農家から農産物を売りに来ている。

道はほとんど舗装されている。標高が上がって、樹林は松林から、ヘムロック、スプルース、ヒマラヤン・シルバー・ファーに変わっている。
ネパール系ブータン人が道路工事に出稼ぎに来ている。


ドチュラ(峠)
標高3050m。晴れていればヒマラヤ山脈が見えるが、雨とガスで何も見えない。峠の頂上に仏塔が立っている。
峠を少し越えたところにあるカフェテリアで休息。
どこへ行ってもワンチュク国王の写真が掲げてある。

お寺や祠のあるところは、時計回りに通過しなければならないらしい。道がお寺の手前で二股に分かれ、お寺の向こうで合流している。

道はドチュラから一気に下り、植生は広葉樹、竹、しだなどのいわゆる照葉樹林に変わってきた。鬱蒼としている。日本の本州の本来の森とよく似ている。所々で牛や馬がのんびりと歩いたり、木陰で雨宿りをしたりしている。
道端の雑草にほとんど花が咲いていない。花の季節は終わったそうだ。

村まで下りてきた。棚田が広がっている。里芋やかぼちゃの葉が畑に見える。 Thinleuigang村と言って、道からは家が数件しか見えないが、高校まであるそうだ。周辺の山の中に点々と農家があるのだろうか。

道端で休息。
男根の飾り物。村や家を護っているそうだ。
家に描かれた魔よけの男根の絵。


プナカ盆地まで下りてくる。村にはバナナの樹。広い谷に広がる田んぼの中に農家が点在している。

空気が暖かくなった。村の野菜市場では、パイナップルなどのトロピカルフルーツを見かける。
プナカの標高は1300m。亜熱帯気候で果物がよく採れる。野菜市場。パイナップル、パパイヤ、かぼちゃ、椰子の実、大量のとうがらし。

プナカでは、田植えをしている田もあった。この辺りでは二期作ができるらしい。


道の途中で男を乗せる。パルデンが知っているホテルの従業員(皿洗い)で知的障害がある。腕時計が壊れたので修理をしにプナカの町まで歩いていくところだったようだ。腕時計は彼が仕事をするためにはとても大切なものですからね、とパルデンは善意で乗せてあげたのだった。


プナカゾン
ブータンで2番目に古いゾンで、文化財がよく残っている。昔は冬の首都だった。 父の川と母の川の合流点にある。

以前、夏と冬で首都を移していた頃、ティンプーとプナカの間を王族や高僧はヤクに乗って移動したということである。

入り口に仏壁画。
4つの方角を護る仏。北は黄色でマングースを持っている。東は白でブータンギターを持っている。南は青で剣を持っている。西は赤で小塔と蛇を持っている。

どこのゾンもそれぞれ建築法が違うらしい。

本尊はタシチョゾンに同じ。
入り口を入った壁面に釈迦の生涯を描いた仏壁画。
側面には千体仏。
このお寺はそのままチベット寺院と同じだとチベット人も言うそうだ。

ブータン人は気心が日本人とよく似ているので、ずべて英語で話しているのだけど、外国にいる感じがしない。

ワンデュポダンゾン
古い形式を伝えるゾン。
屋根が古いスレート葺き。
少年僧が修行をしていて、建物の古さもあり、生活の臭いがした。




ワンデュの町で女性の日本語ガイドに会う。ワンデュから10㎞ほど下流の町でブータン人監督が映画を撮影しているのでそこで働いているということだった。

ワンデュポダン・ゾンへ行く途中に見かけた看板


ワンデュポダンゾンの川向の急斜面の村は、ゾンの建設時にインドから働きに来た人たちが住み着いた村で、長年の間に、言葉、宗教、生活様式すべてブータン化したが、顔はインド人の顔の人が多い村だそうだ。


ホテルに戻って着替えてから、ロビーで紅茶を飲んでいると、年配の日本人団体が入ってこられた。甚平を着ている私と、ゴを着ているパルデンを見てさえも、私がブータン人でパルデンが日本人に見えると言われた。
ブータン人の顔はさまざまだ。民族は大きい3つのグループと少数民族、さらにネパール系住民とインド人も町でよく見かける。ネパール系やインド人はブータンの民族衣装を着用する義務はなく、洋服あるいは女性ならサリーのような服を着ている。
ゴを着ているブータン人の顔は日本人とよく似ているが、日本人よりバラエティーに富んでいて、インド人に近いような人もいる。


団体の方としばらく日本語でお話をする。
団体の日本人添乗員が 「ホテルの電気がショートして、今夜は真っ暗な中かも」と言い、別のホテルに移動して行った。もうちょっと色々ブータンの感想を話して共感し合いたかったが、残念。
今夜停電かもしれないと聞いて一瞬不安になったが、ろうそくで過ごすのもブータンらしくて良いかと思った。でも、温水シャワーが出るのかなあ。ホテルのシャワーは電気温水器がほとんどだ。
ちなみに、ブータンの数少ない輸出品の中に電気がある。豊富な水力を利用して発電し、余った電気をインドに輸出しているそうだ。
庭にいたホテルの従業員に聞くと、ほっとシャワーは出るよと言うので、部屋に戻って確かめると出た。今のうちにシャワーを浴びておこう。
電灯も復旧したようだ。ろうそくの夜にならずに残念。
後で、パルデンから聞いたところによると、旅行社が部屋数を確保できず、1人部屋希望者が相部屋しなければならなくなったので、電気のトラブルと偽って、団体客をランクの低いホテルに移動させたようだ。


パルデン、僕たちの乗ってきた車を毎日洗っている。彼はきれい好きだが、道路事情の悪いブータンでは、道がどろどろなので、洗っても一日走るだけで 泥だらけになってしまう。
パロは水が良いが、ここは水が悪いと言いながら、車を洗っている。



ワデュポダンから少しプナカよりのこのホテルの辺りは、大きな川の両側の斜面に家々が貼り付くように点在している。どの家も立派だ。

川向こうの家々から子供の声が聞こえてくる。犬、山羊、小鳥の鳴き声。
不思議なのは、森林が再び針葉樹林になっていることだ。峠から下ってくる途中、鬱蒼とした照葉樹林を通り、さらに下って亜熱帯に入ったのに、樹林は亜熱帯という感じがしない。
土壌が流出しているのか、疎林になっている。

日用品はインドからの輸入品が多い。
石鹸、シャンプー、マッチ、ろうそくなど。
ホテルの部屋には停電に備えてマッチとろうそくが常備してある。

ミネラルウォーターはブータン製
MOUNTAIN SPRING WATER

夕食

プナカ川とワンデュポダン・ゾンが見えるホテルのレストランで洋服に着替えたパルデンと夕食。

パルデンは、タシガン(ブータン東部)出身で30歳。ブータン東部は、いわゆる奥地で、外国との出入り口がある西部と比べると近代化が遅れている。子供の頃、日常品はほとんど竹製品だったそうだ。

パルデンは兄弟の中で一人だけ大学を出ている。
プナカゾンの川を挟んだところにある高校が、パルデンの母校で、当時、ブータン東部には高校がなかったので、タシガンから3日かけて路線バスを乗り継ぎ、寮に入ったそうだ。 家族は泣いて心配し、決して川に近づくなと忠告したらしい。確かに、ブータンの川を見ると、どの川も急流で、落ちれば助からないだろう。
「ぼくは、いろんなことに考えをめぐらしているので、僕の両親も兄弟もいろんなことを僕に相談します。他の家族は田舎で住んでいて、あまり経験がないので、いろんなことに考えが至らないんです」
「自分は東部の貧しい家庭に育ちました。だからこそ今があると思っています。両親には感謝しています。インドの仏蹟巡礼もプレゼントしました」
パルデンとは英語で話しているが、心根が日本人とよく似ているので、まるで日本人と話しているようだ。

パルデンはガイドの仕事について、
「お客を喜ばせるのが私の仕事。お金はついてくる物です。インドやネパールへ行ったとき、金が先の社会でした。私は、私の仕事を誇りにしています」
と言うので、私は同意して言った。
「その考えは、日本人の考えと非常に近いよ。私も、いつも子供たちには、人に役立つものを作ったり、人に役立つことをしたりして、お金をいただくのが、仕事だといっている」
「私も、ガイドをする前に小学校の教師をしていたことがあります。仏教では人によいことをしなさいと教えます。悪いことを人にしてはいけないと教えます。生徒たちにはそういっていました」
そうか! ブータンは仏教が国教なので宗教教育ができるのだ。日本でも私たちが知らないうちに身につけている社会倫理、道徳を子供たちに教えることは、その源が仏教であったとしても特定の宗教教育にはあたらないだろう。

パルデンの奥さんはブータン東部のペマガッツェル出身。農業省で公務員として働いている。大学時代に出会ったそうで、とても内気だと言っている。
日本では女性が強くなって、男性の地位が相対的に下がっているが、ブータンではどうなのだろう。
「ブータンでもそうですが、でも僕は強い個性を持っているので、妻は僕の言うことに従っていますよ。妻を大切にして幸福にできなければ、他の人を幸せにできないというのがブータン人の考え方です」

パルデン、奥さんとも、母語はツァンラカ語(ブータン東部の言葉)。
娘6歳、息子3歳半。
家族全員、家の中ではツァンラカ語で話している。ゾンカ語と英語も話せる。
平日は両親共働きなので、息子はデイケアに預けている。

パルデンはビールも入って、将来計画について熱弁。
パルデンはワンデュポダンにホテルを作るのが夢らしい。
それは夢?それとも計画?と聞くと、計画と言い切った。この近辺で適当な土地を探しているらしい。
将来は、旅行会社を作って、ホテルも持ちたいと考えているそうだ。
また、ティンプー近郊にあるシムトカゾン上流の丘に土地を買いたいとも言った。
正面の丘の頂上に140mの仏像が建立される予定で、いい眺望なので、ホテルを建てたいのだという。

私は彼の前向きな姿勢に賛同して言った。
「そうだね。人を喜ばせ、幸せにするという初心を忘れてはいけないよ。それから、教育は重要だ。人にも教育を施すことが大事だと思う」


7月29日



ワンデュポダンのホテルで映ったテレビ放送は、30ch。
BBS(ブータン国営放送)
平日6:00~11:00、18:00~23:00
週末6:00~11:00、15:00~23:00
そのほかにインド系、英語系、中国系などのテレビ放送。パロではNHKの国際放送が見られた。

BBS(ブータン国営放送)
朝6時放送開始。
ブータン各地の映像を背景に、僧侶の読経の声と声明などが28分間。
続いて高僧の説教が28分間。
ツェチュの映像(チャルメラ、ホルン、太鼓(立てた平胴太鼓を鉤状の撥で打つ)、シンバル、手にデンデン太鼓を持って踊る)が4分間。
7時からニュース。アナウンサーはゴを着ている。プナカ川の水力発電に協力するインドの要人が国王と会談。大臣がインドとの文書に調印。
コマーシャルあり。日用品1本、DKS1本、映画のコマーシャル1本
7時25分からスポーツニュース。


ROYAL BHUTAN
"Himalaya's Gift"
ORANGE MSRMSLSDE
Manufactured with world famous danish technology
砂糖・オレンジ果汁・オレンジ皮・ペクチン・クエン酸・オレンジオイル
PERMITED CLASS-ⅡPRESERVATIVES
NO ARTIFICIAL COLOR ADDED
Manufactured By : Bhutan Agro Industries LTD
(A Royal govt. of Bhutan Undertaking)

PURE HONEY FROM BHUTAN
Produced and Bottled by Beekeepers Association of Bhutan

農業製品はブータンの主要な輸出品のひとつ。
インドへの輸出用を国内のホテルで使用していた。
しかし、ガラス瓶と蓋は多分インドからの輸入だろう。
マーマレードという食品を製造できたとしても、インドから容器を輸入して詰めなければ製品にはならないのである。


今日は、ワンデュポダンを後にして、ティンプーに戻る。

ブータンの一般家庭を見てみたい。パルデンのうちに招待してくれないか頼んだら、お昼ごはんを食べさせてくれると言うので、お言葉に甘えてよばれることにする。


道端でパルデンが胡瓜売りを見つけて胡瓜を買う。
ブータンの胡瓜は直径10㎝くらい。皮をむいて薄く輪切りにしサラダにする。
4本で150ヌルタム(450円)(輸送費がかかっていないので街の市場より少し安いようだ)
貧しい農家の人から買うのがいいんだとパルデンは言っている。貧しい農家の作物を買えば、彼らは塩などの生活必需品を買えるからね。
自家用作物はともかく、商品作物は日本と同じくらいの値がする。
4本あわせれば大ぶりの西瓜ぐらいのかさがある。


高度が一気に上がる。行きには気にとめなかったが、女郎花のような黄色い花がたくさん咲いている。
道路工事作業員のバラックがちらほら。
出発したときには冷房をつけていたが、ここでは暖房だ。霧が深くなってきた。先週、道に大きな落石があって、2日間通行止になったそうだ。 雨季で地盤が緩んであちこちで小さな土砂崩れがおきている。


ドチュラ峠
ガス
カフェテリアでBBSの音声技師、ドルジ・ワンチュクさんに似ているといわれたが、 ご本人を存じないので。
従業員の女の子が、大声で歌いながら入ってきた。客が誰もいないと思ったのだろう。「Good singer! 」とからかってみる。その子が、紅茶のおかわりは?と聞きに来たので、「More song please! 」とさらにからかってみる。
ドチュラ峠頂上のチョルテンを車で2回半回る。行きと合わせて3回回ったことになるそうだ。

ドチュラ峠のカフェテラスのテーブルの上にあったトマトソースの表示
Bhutan Fruit Products PVT. LTD
DRUK Tomato Sauce
水、トマトペースト、砂糖、塩、酢酸E260、オニオンパウダー、スパイス、ガーリックパウダー
Emulsitying and Stabillizing agents E415
CONTAINS PERMITTED CLASSⅡ PRESERVATIVE E211

醤油・チリソースとはインド・コルカタの中国系 誠昌醤園製。

検問所通過
そぐ下に倒木あり。既に切って通行できるようになっていたが、昨日は倒れていなかったので、夜のうちに倒れたのだろう。

パルデンの家を訪問


写真には写っていないが、タシガンで看護婦をしている奥さんの妹が、手術の方法を研修するために、8月5日タイに出発するそうで、パルデン家に滞在中。

ザウ(炒り米)、ティンティンマ(とうもろこし)


お昼ごはん
牛皮、じゃがいも、ピーマン、ゆで卵、赤米、とうもろこしご飯
自家製アラ(焼酎)2種類



ブータン篠笛 Lim(ゾンカ語)、Namburung(東部語)
どの人も左利きで吹く。


パルデンは横笛を自作したそうだ。
横笛は喜びの音楽、縦笛は悲しみの音楽を吹くと言っていた。
また、冬と夜には、笛を吹かないということだ。

6穴で、第2穴と第6穴を塞ぎっぱなしで吹く音階と、第1穴を塞ぎっぱなしで吹く2種類の音階がある。

こちらも持参の篠笛で「さくらさくら」を演奏。冷や汗。
子供たちに折り紙で鶴と兜を折ってあげる。

ブータンの教育事情

パロかティンプーで学校訪問したいと思って、パルデンにコーディネートしてくれるように頼んであった。
事前に旅行社に頼んだのだが、現在、政府の方針により事前に学校訪問許可を取ることはできないので、現地でガイドに相談して下さいということだった。

パルデンによると、パロやティンプーでは保護者の意識も近代化していて、もし訪問者があったために授業の予定が進まなかったりすることがあると、保護者から苦情が来ることもあるので、訪問は難しいだろうということであった。
ブータンでも中央部へ行けば可能だろうということであった。

というわけで、学校訪問がかなわなかったので、パルデン(2年間教員をしていたので、教育事情には詳しい)に聞いたブータンの学校の様子。

ブータンの小学校の一日
月-金 8:30~15:30
お昼ごはんは、町ではお弁当、村では公費の給食。
土  8:30~12:00

1日5校時
教科は、英語、ゾンカ語(宗教教育を含む)、算数、社会、理科、フィジカル・トレーニング(体育・音楽・図工・読書)

学校では、国語のゾンカ語を除くすべての教科は英語で教えられる。これは、英語を重要言語として小学生から学ばせ、ゾンカ語とともに国民の共通言語にしようとする意図と、教員養成機関が整備されていなかったために、教員にインド人が多く使われたという理由もあるのだろう。

6歳から公立学校に入学。(私立では5歳のところも)

東ブータンでは母語がゾンカ語ではないので、子供たちは小学校に入るとゾンカ語と英語の両方を学ばなければならず、負担が大きい。
両親が英語を話せる場合、小学校に入る前に英語のトレーニングができる。両親が英語を話せる割合はそんなに多くない。
英語がよく理解できない生徒には、ゾンカ語でも教えて理解させるということである。

都市部では、学校が終わってから、塾や習い事に行くこともあるようだ。

それと、ブータンの小学校は30歳くらいの校長は普通なのか、パルデンのかつての同僚は今、校長だそうだ。教員の給料はいいらしい。


ブータンの新聞、ブータンタイムズは英語紙。
英語紙のほうがゾンカ語(チベット文字)より読みやすいというのが一般的なブータン人の言語実態だそうだ。
来年、国王親政から議会制民主主義に移行するようで、国会議員の選挙もあるといっていた。

家の玄関に、パルデン自作の男根のお守りが。
「The same size as mine!」
とパルデンが笑う。サイズを気にするのは、万国共通、どこの男も同じ。

何か比較になるものを一緒に撮ればよかったなあ。
この模様も彫ってあるの? まさか。

ダルシンの横を通るときも時計回り。

昼過ぎにチョモラリホテルに到着。
おとついの部屋がメインストリートに面していて、うるさかったので、反対側の部屋にしてほしいと頼む。案内されてみると、スイートルーム。

エンポリウムが開く2時まで半時間ほど休憩。広いスイートになんだかそわそわ。

ブータンの国技 弓術

土曜日に競技会が開かれていた。


ティンプーの競技場は2コース。 一つのコースは100m以上もあり、両側から射ることがでる。


団体戦で交互に射合って、矢が命中すると、両チームがダンスを踊る。

道具は洋式のアーチェリー。


エンポリウムでお土産を買い物。その後、安い品物をメインストリートの店で買う。


現金(ヌルタム)がなくなったので、パルデンが奔走してくれて靴屋さんで円を両替。みんな本当に正直。

忍(しのび)という日本酒が売られている。調査しなければ。

民族音楽

夜、ホテルでタイ人団体が民族音楽ショーを見るというので、パルデンが一緒に見られるようにホテルに交渉してくれる。

* ウェルカムソング
* 相聞歌のような女の子の歌
* 少数民族ブロックパ(東部)男子の歌と踊り
* ラヤップ(西部)女子
* ブータンギターの演奏で踊り
* ブンタプ(中部)女子
* 男の歌と踊り
* 女の歌と踊り

歌は歌いながら踊る素朴なもので、楽器は打琴、ギター、横笛

夕食後、レストランの給仕をしてくれた女の子に
「Thank you. Good night, prety girl!」
と言うと、パルデンやレストランの従業員の男たちが、「そうだろ、彼女のことはみんながかわいいと言ってるんだよ」と言うので、「Me too!」と言っておいた。


7月30日

ティンプーを後にして、パロへもどる。

道路工事に来ているインド人が目立つ。
彼らは移民ではなく、出稼ぎ労働者。家族で来ているものも多く、工事現場の横で子供たちが遊んでいたり、赤ん坊を背負ったお母ちゃんが泥にまみれて力仕事をしていたりする。サンダル履きの人が多く、裸足の人もいる。
その横を、きれいな民族衣装の制服を着たブータン人の子供が学校に向かって歩いている。
学校へ行く子供たちは、みんな同じ柄のゴとキラを着ている。学校ごとに柄が決まっているそうだ。

パロの手前の工事現場。時間通行止。9:30~12:00。9:28通過。この道は首都と唯一の国際空港を結ぶ国の幹線道路なのに、のんびりしたものだ。

ボンデファーム

西岡京治さんが 生涯をかけて作った、国営の農業試験場。

一般的に、ODAや食糧援助が現地では国民の生活を省みない高級役人の懐に入ったり、また、ODAで浮いた予算を軍事力に使ったりさらに貧しい国々を搾取するために使ったりする国があるということを耳にする。
そんな中で、ブータンへの協力は、西岡さんの生涯をかけた努力もあって、うまくいっている例だといわれている。

まずは、ダショー西岡チョルテンにお参り



Druk seed




タキイ種苗を定年退職された西川さんがJICAから派遣されて指導しておられる。15ヶ月目になるそうだ。
突然の訪問にもかかわらず、快く案内をしてお話をしてくださった。
西岡さんがなくなられてから、遺志を継いで日本からさまざまな援助や協力が行われているが、現状はどうなのかお話を聞いてみた。

西岡さんがお亡くなりになってから、残念なことにボンデファームは忘れ去られようとしていたそうである。
ドゥックシードという国営の種苗会社が設立されたのだが、必ずしもうまくいっていなくて、西川さんが来られたとき、何から手をつけたら良いか分からない状態だったそうである。
ドゥックシードはブータン国内の種苗の販売を一手に引き受けている会社である。
まず、倉庫に山積みになっていた古い種を捨てて、倉庫を空にすることから始められたということである。古い種は発芽率が悪くなる。


生産した種の選別場を見せてもらった。立派な機械が入っているのだが、実態に合っていないので、大きすぎたり、修理ができなかったりして、上手く使いこなせていないということであった。また、残念なことだが、いつの間にか機械がどこかに持ち去られた形跡もあるということであった。

培養の試験場では、じゃがいもの「種芋の種芋」の培養が中心ということで、初歩的なバイオテクノロジー、「中学校の理科室です」と笑っておられた。


「自分たちで種を生産することをまずやってください」ということを言っておられるそうだ。都市住民と農民の格差、公務員と農民の意識の差が大きく、農民が一番幸せになれるような農業のあり方を求めたいのだが、委託して種を生産できるだけの農家の人材が育っていないし、商品化するための品質管理をする人材もいない。

ブータンの農業は有機農法に近い。それは、化学肥料や農薬を使うとなれば、インドから買わなければならないからだ。しかし、このことは一方で、ブータンの農作物の商品価値を高めているのではないか。
インドやタイを市場として種や野菜を輸出することを考えれば良いのではないかと西川さんは言われた。
また、品種についても、日本梨、さくらんぼ、桃などは、日本の品種がブータン人にも好評だということだ。けれども、りんごについてはふじりんごより、ブータンの小さなりんごのほうがおいしいと言われるのが不思議だとも言っておられた。
ただ、あまり改良の進んだ品種だと、また化学肥料や農薬が必要になってくるのではないかとも思われた。

後からJICAの視察の方々が来られたので、一緒にお話をうかがった。
途上国の開発支援を考えるNPOの方々で、機械などは、現地で作って修理できるようなものでやっていくことが必要ではないか、との考えから、あるべき支援のあり方を考えておられるということであった。
しかし、そうした理想と、現場で活動しておられる現実とには隔たりがあるとも感じられた。

人の教育が根本になければならないと、西川さんは言われた。
私の職業が教員であるということを言うと、ぜひブータンに教育で協力に来てくださいよとおっしゃった。
私が「言葉がもう少し何とかなればねぇ」と言うと、「大切なのは言葉ではなく、気持ちですよ」とおっしゃった。


ドゥルゲルゾン


対チベットの前線基地として作られた砦。約50年前に消失。
天気がよければここからチョモラリが見える。車で来られるのはここまで。ここから先はトレッキングコースで、多くのトレッカーが出発していくそうだ。

この先の国境地帯は、ブータン軍とインド軍が共同で国境警備をしている。
パルデンは、中国は恐ろしいと言った。
中国がチベットで行った侵略、虐殺を、同じチベット仏教徒のブータン人はよく知っている。何より、亡命チベット難民が、ブータン国内に定住しているのだ。

チベットというと、今は中国の一部になってしまっているので、中華文明圏に含まれるようなイメージを持っていたが、中国とは異なる独自のチベット仏教文化圏である。
日本仏教は中国仏教が伝わったものだが、チベット仏教は中国仏教が伝わったものではなく、インドから直接伝わったものである。
チベット仏教世界は、チベット、ブータン、モンゴルと、ネパール、インド、ロシア、パキスタンの一部の広大な地域に広がる独自の文化圏である。

キチュラカン


パロ上流の豊かな農村キチュ村にブータン最古の寺院キチュラカンがある。
ブータンに仏教が伝わったのは8世紀であるが、それ以前の7世紀にチベットから僧侶が来てこの寺を建立したそうだ。

礼拝するところの床板が長年の間に磨り減って、足形がついている。

ブータンの3大仏教聖地は、このキチュラカンとブムタンのジャンバラカン、そしてタクツァン寺院で、ブータン人は一生に一度この3か所にお参りする習慣だそうだ。

農家民泊

ブータン人には苗字がないので、なんと言うご家族か表現できない。一家の中心であるおばあさんはチミさんというお名前なので、チミおばあさん一家とでも表現しておく。

家は、パロゾンの見える空港のそば。

長屋門を入ると、右手に牛小屋、左手に干草置き場。長屋で囲まれた中庭を挟んで正面に3階建ての母屋。
母屋は、1階がたぶん物置で、外に付いた階段を昇って2階入り口から建物の中へ。

両側に貸部屋らしい入り口があり、建物中央に3階に上る階段がある。さらに奥に進むと、物置やバスルームがある。バスルームにはバスタブとインド式トイレ(水洗)。バスタブは使っていないようで、何か大きなものが入れてあった。3階が住居スペースで9部屋。靴を脱いで生活する。床は板張り。ブータンの一般的な農家らしい。

3階の客間に通されて、アラを振舞われる。
ここでも、ブータンの王族に似ているといわれる。


ブータンは基本的には女系家族で、チミおばあさん一家は、サザエさん一家が成長してタラちゃんに妹ができ、カツオが結婚して家を出、ワカメちゃんが婿養子をもらって子供を産み同居しているような家族構成だ。さらに、南部のネパール系の子供が2人、子守奉公で住み込んでいる。

近所に住む親戚のツェンチョワンモさん(24歳女性)が家族構成を説明してくれた。
彼女はインドのパンジャブ大学MCMDAV女子カレッジに留学して政治学と社会学を専攻。現在は高校の社会科の先生をするために、採用試験(Royal Civil Serrice Commition)待ちだそうだ。
ブータンには現在、大学が1校。小学校時代から英語で教育を受けるので、インドの大学に留学する学生も珍しくない。彼女の大学にも15人のブータン人留学生がいたそうだ。
両親が学費を出して、インドの大学に行かせてくれましたと言っていた。現金収入のある都市住民は、インドで高等教育を受けさせることが多い。

ダワ(15歳男子)タラちゃん
と散歩。サッカーとバスケットが好き。将来は医者になりたい。
ブータンでは高等教育を受ける学生はほとんどインドの大学へ行く。ダワも国内の大学より、インドの大学へ行って、違う文化の国で生活してみたいといっていた。

空港裏の、ブータン軍インド軍共同基地(といっても緊張感はなく、兵隊がのんびりとバスケットボールを楽しんでいた)まで歩いて引き返した。

10畳ぐらいある食堂に家族が集まって夕食。

大人の男がいない。ブータンは女系家族なのだ。最初に紅茶を入れてくれる。
チミおばあさんがご飯をみんなによそって、娘や孫娘が配る。子供たちは大皿にご飯とおかずを盛ってもらって食べ始めている。家の子も子守奉公の子も同じだ。
そのうちに、ドゥック航空につとめているマスオさんが帰ってくる。中井貴一似のいい男だ。
赤米を右手でギュッギュッと握って固め、口に入れる。おかずは、豚肉の脂身、じゃがいもきゅうりのチーズ和えなど。辛いスープは日本人に配慮してかよそってくれなかった。食後はバター茶。一通り片付けた後、お酒を注いでくれて、団欒。子供たちは食べ終わったら流れ解散。

何歳かと聞かれたので、何歳に見える?と聞くと、ちょっと考えて、29歳と言われた。えっ、ブータンの45歳の人ってどんな感じ?

マスオさんとお話。ブータンは王政がうまくいっているので、国民生活もよい。王が悪くなれば国民生活も悪くなる。ネパールがその例だ。ブータンは小さな国で、中国、インドと大国に挟まれ、隣には王制が崩壊したネパールがある。独立を保つための努力が必要だよ。
中国人はだめだ。日本人とブータン人は見かけも似ているが、心情も近いよ。
インドやネパールでは人を信用できない。ちょっとしたすきに物を盗もうとする。ブータンではそういうことは一切ない。
ブータンでも西部のティンプー、パロの人たちの平均的生活程度はインド、ネパールよりはるかに高い。公務員、空港関連産業、観光などの産業に携わる人たちは精神的にも近代化されている。


7月31日

朝6時、トイレにおきる。マスオさんは紅茶を沸かし、お米を炊飯器にかけ、できた紅茶を仏壇に供える。水を供え香を焚く。



灯明は一晩中、灯してある。灯明の上に回り灯籠が右から左に回っている。聖水を仏壇にふりかけて終わり。特に手を合わせて拝むということはなかった。
続いてチミおばあちゃんがおきてくる。それから子守のラモ、タラちゃんと妹。
子守のラモがおばあちゃんに何か言われて首を横に振っているが、これはイエスの仕草なのだろうか。
マスオさんは、灯油こんろで赤米を蒸している。
子守のラモが、孫のペマイデ(2歳)のおまるを持ってきたり、ちりとりを持ってうろうろしたりしている。
マスオさんは鍋をきれいに洗い続けている。ラモはあちこちの部屋を掃除している。

6時半、チミおばあさんが仏壇でお祈り。仏間の入り口には稲穂を束ねてつるしてある。

おばあさん、お経を唱えながら、お仏飯をお供えして、五体投地の礼。礼拝中にマスオさんがミルクをお供えに来る。
「ナンガー ヤンベー スンゲー タムチェー ザンマー サンゲー ルンブー チーナー ジャプソー チョ」を繰り返す。息を切らして20分続いた。かなりの運動量だ。不謹慎だけど、ラジオ体操どころではない。
マスオさんが、ペマイデにモモ(ネパール風餃子)を食べさせている。

食堂の横の食糧庫を見せてもらう。


穀物や野菜(いんげん、トマト、ピーマン)、ビンロウの実、食器や鍋。天井からつるした竿の棚に、干した脂身がつるしてある。
蝿がやたらと多い。ラモが煙を焚いて燻している。殺生を嫌うので、動物はのんびりしている。蝿や蚊さえものんびりしている。のんびりした遺伝子が残るからか、それとも空気が薄いからか。


もう一人の子守ツィリが台所で朝ご飯。赤米にとうがらしと玉ねぎの炒め物を混ぜて左手で食べている。

やがてみんなで朝食。卵の焼き飯(赤米)、エマダツィ(とうがらしのチーズ炒め)
子供たちは制服(民族衣装)に着替えて朝ご飯。よく観ると、女性はみんなあぐら座りだ。
エマダツィは辛いと思っていたがそれほどでもない。たまに当たりのとうがらしがあるが、当たりの辛さが全体に薄められ、チーズ味でマイルドになっているので、辛さはキムチなどのレベルよりずっと低い。おばあさんはとうがらし味噌を加えて食べている。
こぼれたご飯を猫が食べている。
ペマイデが哺乳びんでオレンジジュースを飲んでいる。ラモが手を拭いてやっている。
食後にアラを勧められたが、丁寧にお断りした。

子供たち学校へ。マスオさん仕事へ。

パルデンが迎えに来る。おばあさんがパルデンに朝ご飯を食べてきたのかと言って勧めるが、パルデンは食べてきましたと言って断っている。
パルデンにゴを着付けてもらってからお別れ。

帰りに牛が何頭いるか確認しようと牛小屋をのぞくが、昨日夕方いた牛がいない。
外に出ると牛を追って尾根を登っていく人が見えたので、昼間はどこかの草地へ連れて行くのだろう。


タクツァン寺院

ブータンに仏教を伝えたパドマ・サンババ(グル・リンポチェ)が瞑想した洞窟の跡に作られた寺院。
1998年に全焼し、再建。再建時、ケーブルを仮設して山頂まで資材を運んだ。
車を降りてから、2時間ほどのトレッキング。

歩いて登る。薄曇りの登山日和。暑いのでゴの上半身を脱いで、袖を腰に結んで登る。ぴっちりしたジーンズより歩きやすい。

途中、茶店で休憩し、11時過ぎに寺院入り口に到着。

寺院入り口でデイパックを置いておかなければならない。現金やパスポートが入っているので心配だったが何の問題もなかった。服装を正して、寺院参拝。パドマ・サンババが瞑想した洞窟の上にあるパドマ・サンババ像は、創建当時の物で、1998年の火災時にも焼けなかったそうである。寺内に神戸月見山浄徳寺から贈られた金剛不壊の鐘がつるされている。

下り道、パルデンが、これがエトメトの花だよと言うので見てみると、しゃくなげだった。エトメトという旅行社のマイクロバスをよく見かけたのだが、エトメトがしゃくなげを意味する言葉だと初めて分かった。
西洋女性4人が馬やろばに乗って登ってきた。何様だろう。パルデンは、歩いて登ってこそご利益があるのにと言っていた。
駐車場に着いた途端に雨が降ってきた。Buddha bless us!


パルデンは、りんごも桃も皮をむかずに丸かじり。りんごも桃も日本のすももくらいの大きさだ。多分、農薬など使っていないだろうから、そのままかじっても大丈夫だろう。
これらを、おいしい品種に変えていくことは可能だろうが、それはそれで、またいろいろと世話が必要になってくるだろう。何の世話もせずに農家の庭先でたわわに実っている小さなりんご。


雨が止んだが、遠くのあちこちの尾根ににわか雨が降っているのが見える。
タクツァン・トレッキングで少し疲れた脚。


消防車が家の前に駐車してあった。外国から贈られた物かもしれない。しかし、消防車を消火活動で使うための防火用水や水利などが整備されているのだろうか。それがなければ、ただの派手な燃費の悪い乗り物に過ぎない。

ドツォ(石焼き風呂)で極楽体験

ドツォは浴室の外にある炉で熱した石を、頑丈な樋で浴槽まで滑らせて石の熱でお湯を沸かすブータン式のお風呂。真っ赤に熱せられた石が浴槽に落ち、ジューという音とともに湯気を上げる。浴槽は石が入るところと人が入るところを網で仕切ってある。石で熱せられた湯でちょうど良い湯加減になっている。
石のミネラルが湯に溶け出して、温泉のような効果があるらしい。
昔はブータンの各家庭にあったらしい。


「日本には、裸の付き合いという言葉があるよ。一緒に入ろうぜ」とパルデンに言ったけど、なかなか入ろうとしない。ようやく浴室でパンツ一丁になってパンツだけはいたまま浴槽に入った。ブータンでは人に裸を見せてはいけないので、裸のつきあいもないし、露天風呂も一般的ではないらしい。露天風呂を作ったら、日本人に受けるだろうなあ。
人間はみんな裸で生まれてきて、社会的地位や貧富に関係なく、みんな一人の人間としてお風呂に入りましょうという日本の考えを教えてあげた。
でも、パルデンはパンツのまま浴槽に入った。男2人、旅の最後の裸のつきあいだった。
「もう一人子供がほしいって言ってたよね」とパルデン。
「うん、そうだよ。子宝と言うからね。でも、男は簡単だけど、女には大変だから、どうなるか分からないね」
そんなばかな話をしながら。


パルデンが携帯でフロントに酒を持ってきてくれと言ったらしくて、もう出ようかなと思ったところへ、シェフ兼ウェイターがコップにアラを満たして持ってきたものだから、もう一度お風呂に浸かって酒を飲んだ。回ること回ること。こういうときに、日本では「極楽(Paradise of Buddha)、極楽」と言うんだよと言ったが、同じ仏教徒でも、極楽往生ではなくて、輪廻転生を信じるチベット仏教徒のパルデンに通じたかどうか。
それにしても、ブータンに来てお風呂でお酒が飲めるとは思っても見なかった。
外で、かま焚き君が、もっと石を入れましょうかと言うので、ためしに1つ入れてもらうと、大きな音を立てて樋から浴槽に真っ赤に熱せられた石が落ちてきてジューッという音とともに湯気が上がった。これは無茶苦茶おもしろい。

湯上りに涼しい風に吹かれながら見るパロゾンとパロ谷の美しい景色。ブータンの爽やかな温泉気分を味わった。


夕食は地元産の鱒、山羊肉。山羊はブータンでは珍しいようだ。
レッドパンダビールを飲みながらブータン最後の夜を楽しんだ。
RED PANDA WEISS BEER
Not filtered
with natural yeast
no preservatinons
Alcohol Content max, 5% Vol 650ml
Producted by
Bumthang brewery ltd.

宿泊客は一人だけ。インド人のオーナーもやってきて、話に参加。オーナーとパルデンはネパール語で話しているらしい。
すっかり暗くなった窓の外にはライトアップされたパロゾンが浮かび上がっている。


パロ谷は本当の意味で豊かだ。
部屋に帰って灯りを全部消してみた。真っ暗だ。パロゾンと、点々と民家の灯り。
パロ谷の川の音。犬の吠える声。こおろぎの声。静かだ。


8月1日

実質1週間のブータン旅行だったが、あっという間に最終日。
もう少し日程をとって奥地まで行きたかったなあと名残惜しい。
パルデンとは1週間、男同士の旅だったが、ガイドとしてよく努力してくれたし、人間的にもいいやつだった。


パロ空港には誘導路がない。乗り入れているのは、ドゥック航空のみ。ドゥック航空の所有機はエアバス2機。コルカタまたはダッカ経由でバンコク、カトマンズ経由でニューデリーと結んでいる。なので、多分1日にパロ空港を使うのは離陸2回、着陸2回のみ。誘導路は必要ないのだろう。乗り込んだ飛行機は、滑走路までバックし、今度は前進で滑走路の端まで進み、Uターンして離陸した。


ドゥック航空に乗るとなんだか物腰や化粧の仕方が日本人ぽいスチュワーデスが一人。
彼女が通路を通ったときに名札をちらりと見ると、日本人の名前だ。経由地のコルカタで待っているときに話しかけてみると、気さくにお話ししてくれた。
ブータンを旅行したときに大好きになって、他の航空会社からドゥック航空に移籍したそうで、現在はパロ在住の京美人だった。
ブータンの感想など久しぶりの日本語でお話をした。

げんごろう式



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