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指にぎにぎ遊び

2010.04.27(22:43) 770

しばらく学校の仕事のことを書いていませんでした。
3月の年度末には前年の年度末まとめの記事にたくさんブログ拍手をもらっていたので、これは本年度のまとめを記事にしろという催促だなと思っていました。けれども担任を持っていなかったので直接どんぐり問題を児童にすることも、どんぐり理論で算数の授業をすることもなかったので(もちろん教育の統一場理論ということは毎日の教育活動で常に考えていましたが)、どんぐり理論のまとめとして出せる記事は書けませんでした。

しかし、校内研修などではことあるごとに、
  • 「できる」より「わかる」が大事
  • 言葉のむこうにある子供たちの視覚イメージを見よう
  • ゆっくりと感じ味わう時間が必要
  • 「読み書き計算」よりさらに具体的に分かり考える学習
  • 目で分かり考え覚える
  • 見えるから分かり納得できる
  • 3年生までに思考力・卒業までに判断力を育てよう、
と言ってきました。
「基礎基本の上に応用力」という思い込みが子供を見えなくさせ、「基礎基本がなかなか定着しない」と行き詰っているところに、ボディーブローとしてはかなり効いたと思います。


本年度も校内では昨年同様、担任は持っていないのですが、昨年のポストに加えて本年度は研究主任をゲットしました。

本年度の校内研修では、子供たちの思考をいかに育てていくかという課題を中心にして研修を進めたいと計画しているところです。

具象語のむこうに視覚イメージがある。
抽象語のむこうに視覚イメージの束がある。(感情もかな)
論理のむこうに視覚イメージの操作(思考)がある。(判断もかな)
視覚イメージが先にあって言葉が結びついてくるということは進化の過程を見れば分かる。

言葉のむこうに視覚イメージがあることをはっきりと意識して、一人一人の子供に豊かで多様な原形視覚イメージを育てること。
多様な原形視覚イメージは、思考のエンジンとなる。
エンジンのついた子供は、主体的に思考・判断できるようになる。

こうしたことを学校現場で納得しながら取り組み、明らかにしていける職員研修にしたいと思います。
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今日は、1年生の子と休憩時間に、指にぎにぎ遊びをして遊びました。


そしてこのことを次の授業に行かれた担任の先生の机の上に次のようなメモを置いて報告しました。



1年生の子供たちと指にぎにぎ遊びをしました。

やり方はこうです。

子供は目を閉じて両手を出す。子供の指を何本かを握る。
子供は握ってもらった指の数を当てる。答えたら目を開けて確かめる。

握っていない指の数を当てたり、握った指の数と握っていない指の数をセットで答えたりすることもできる。

この遊びの良い点は、
  • 勉強ではなく遊びの中ででき、体でのコミュニケーションもできるので、「快」の感覚と結びつけることができる。情緒の安定を図れる。
  • 数を体で感じることができる。自分の体の中にある一番確かな数の概念であるので、絶対的な自信となる。
  • 自然に十進数の概念の基礎や、10の補数(たして10になる数の組み合わせ)の概念ができる。
  • 目を閉じて当て、見て確かめることにより、イメージ力と目で確かめる力が高まる。指(数)をイメージして、たし算ひき算へとつなぐことができる。

ということです。

留意点は、
  • 学習が楽しいという感情に結びつくように、楽しい感情とともに、落ち着いてゆったりした雰囲気の中で遊ぶ。
  • 「2+8=10」などと知識を教えてはいけない。指のイメージと目で見て分かった納得感で数の概念ができれば、授業で「2+8」を学習した時、瞬時に理解できる準備ができ上がっている。

ということです。


放課後に、1年生の担任の先生をメモのことで話しをしました。そして、
「それ、ええなあ。今度の参観授業はそれで行こう」
ということになりました。
「そうですね。おうちの方にしてもらうのもいいと思います」
「先生、それ、どこで仕入れたん?」
と聞かれたので、待ってました、
どんぐり倶楽部の糸山泰造先生ですよ」
と答えました。
1年生の担任の先生には、新入生の実態と照らして、指にぎにぎ遊び(体感計算)のよさが、しっくりときたようです。
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ちいさいちいさいおばあさん

2010.01.29(20:47) 722

1年生の担任の先生に頼まれて、朝の読書の時間に絵本の読み聞かせに行きました。

読んだのは、この本。

ちいさいちいさいおばあさん
(2001/04)
ポール ガルドン

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「ちいさいちいさい」という言葉が繰り返し出てきて、子供たちは大喜び。
ところが、途中からちょっと恐いお話しになります。最後は何にも起こらずに終わって安心します。

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徹底反復!

2009.12.05(11:36) 683

徹底反復!


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県人権教育研究大会 進路・学力保障分科会

2009.10.31(20:55) 645

休日ですが、県人権教育研究大会の研修出張でお仕事でした。「進路・学力保障分科会」に参加しました。

インターネットでの情報活用能力と情報モラルをどのように身に付けていくか(小学校)
低学力傾向克服のための取り組み(小学校)
小中連携で「荒れ」「不登校」「学級崩壊」「低学力」を克服する取り組み(中学校)

の3つの報告を元に討議が進みました。

総括討論で、以下のような意見を発言しました。


「子供たちが主体的に学び確かな学力を身に付けていくための取り組みをどのように進めているか」という討議の柱に基づいて、うちの学校での取り組みも含めながら発言します。

学力保障という観点で、最近、近隣のある府県では知事の号令の下、「基礎学力」「基礎基本」身に付けるために、高速計算、大量暗記、徹底反復で子供の感情を殺すような取り組みが進んでいます。実際、学校現場の段階ではどう進んでいるのかは見ていないのでよく分かりませんが、うちの県でも同じような取り組みを進めているところもあって、私は強い違和感を覚えます。

その点で、報告された学校の取り組みでは、先生方が子供たちの生活課題をよくとらえ、悩みながら子供たちの感情に寄り添って取り組まれている様子が報告されていたので、共感しました。
家族で、学校で、人と空間を共有して感情を共有しながら丁寧に子供たちの感情を育てて行くことなしに、子供たちに自尊感情を育てることはできないと考えるからです。

人権教育の視点から、子供の感情と想像力は最も大切にされなければならないと思います。なぜなら、言葉を通じてイメージと感情を共有するのがコミュニケーションだからです。

実は、私の学校では、先ほど述べた大阪の、あっ大阪って言ってしまいましたね、取り組みに近いことをやっていました。何年か取り組みを進めてきた今、高学年の先生方との話の中で出るのは、
  • 考える力がなかなかつかない。
  • 「わからん」「むずい」「無理」「きらい」といった言葉が出てくる。
  • ○か×か100か0かという傾向が強い。
  • 好奇心や関心を育てるにはどうしたらいいか。
  • 短絡的に行動してしまう。
といったことです。
教育というのは比較実験ができないので、この子供たちの傾向が、学校の取り組みが足りなかったからなのか、取り組みの方法が間違っていたからなのかということが実証できないということです。

校内の人権教育推進担当の立場から、子供たちの実態分析をしますが、家庭的にまた社会状況によってしんどい立場にある子供たちは、
  • 情緒が安定しない
  • 家庭での言語体験の不足
  • 感情を共有できない
といった課題を抱えて低学力の傾向があることは、報告された学校と共通しています。

それで、私が考えるのは、
「読み書き計算は学力の基礎である」という前程を疑ってかからないといけないのではないかということです。
単純計算は、例え1+1であっても抽象概念です。
低学力の児童がつまづいているのは、具体的な体験や具体思考を通して、自分に引き寄せて、自分の体験と結びつけてとらえることができていないからなのではないでしょうか。
低学年の内から、
  • 早く頭の中だけでできるように
  • 早く具体物から半具体物そして抽象化できるように
  • 指を使って計算したらあかん
  • 文を読んですぐに式を立てなさい
  • 単純計算をたくさんしましょう
というやりかたで進められていくことで、特に低学力の児童が取り残されていくのではないのでしょうか。

「計算の方法が分かる」ということと「計算の意味が分かる」ということは違います。分かりやすい例で言うと、分数のわり算の計算をできるようになっても、分数のわり算の意味を分かったことにはならないということです。
分からないのにできるようにさせることがいいことなのか、わからないまま納得しないままさせられている子供の感情はどうなるのか、といったことを、先日もうちの学校で論議していたところです。
「分からなくてもできるようにすることで、わかるようになっていく」
という逆の意見もあり、これからも議論をすすめていかなければならないと思っています。

子供が、本当に分かった、考えた、楽しかったと納得できる授業をどう作っていくかが、子供たちが主体的に学び確かな学力を身に付けていくための取り組みになっていくと考えるので発言しました。

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速読速聴・英単語Daily1500

2009.10.28(20:35) 640

10月13日から始めた速読速聴・英単語のトレーニング。
速読速聴・英単語Daily1500―単語1200+熟語300速読速聴・英単語Daily1500―単語1200+熟語300
(2006/10)
松本 茂

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1テーマ(1ページ程度の文章が8~10章、見出し語約100語)を10日間通勤の車の中で聴くことを中心に、黙読、音読、シャドウイングを適宜加えた練習をしています。

10日間で100単語を覚えるというのは、文脈主義でやるといっても大変かなあと思っていましたが、Daily1500のレベルだと知っている単語や学生時代の遠い記憶がよみがえってくる単語も相当数あって、文脈の中で意味を取るだけなら何とかできています。単語だけ独立させて意味を言うとなるとできないのもありますが、また後の文章で出てきたときにもやって、1つの言葉をいくつもの違う文章の中で聴くことによってぼちぼち記憶していけばいいかと、のんびり構えています。

現在2テーマ目。
やりながら感じているのは次のようなことです。

まず、意識を置く場所のことです。
「日本語は最後まで聞かないと分からない」「語尾をはっきり」とよく言います。
確かに、日本語は述語が最後に来るので、聴くときには文の最後に意識をもってくる習慣がついています。これが英語だと、主語の後にすぐ動詞が来るので、日本語を聴くときの癖で最後に意識をもってきていると、動詞のところの意識が抜けてしまって何を言いたいのか意味を取れないことがちょくちょくあるなあということに気が付きました。
片道30分くらいCDを聴き続けますから、ずっと集中して聴けるわけではありません。安全運転がおろそかになってもいけません。
集中して聴いているときは、動詞が主語に次に来ると意識できますが、集中が低くなったとき、特に慣れてきてボーっと聴いていても意味が取れそうなときに、最後まで聴いて「あれ? なんだっけ?」ということがよくあります。おもしろいです。

次に、感情を感じ取るということです。
論理が飲み込めて、イメージができたら、分かったと思えることは思えるのです。文の意味を取ることに精一杯の段階ではそうなんです。
けれども、何回も繰り返し聴いて、話し手が何を伝えたいのか、話し手の感情を感じることができたときに初めて、深くその文を理解することができるように思えます。話し手のイメージとともに感情を感じるか感じないかで、その文の印象が全く変わってくるのです。感情を感じると文の印象がはっきりします。
日本語で単語の意味や論理を分かるのに四苦八苦という体験はあまりないので(もちろん、この人は何を言いたいんだろうということはありますが)、英語をやってみてあらためてそういうことを感じました。
英語に限らず、コミュニケーションというのは、言葉を介してイメージと感情を共有することだということを実感しています。
今年から導入されている小学校英語の目標が、「コミュニケーション能力の素地を養う」ということなので、この実感は大切なヒントになるのではないかと思います。CD音声から感情を感じ取るのは難しいですが、授業では生の人間同士なので身振りや表情も含めて感情を感じることが大切だと思いました。

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